『四畳半神話大系』のあの話が気になる
『四畳半神話大系』を見ていると、出雲に集まった神様たちが男女の縁を決めている、という話が出てくる。
最初に聞いたとき、なんとも言えない面白さがある。
全国の神様がわざわざ一堂に会して、やることが恋愛会議なのか。
あまりにも壮大で、あまりにも身近である。神々の議題としては荘厳なような、しょうもないような。人間の恋愛事情をめぐって、八百万の神々が真剣に話し合っている光景を想像すると、それだけで妙に楽しい。
「今年のあの人とあの人は結ぶべきか」
「いや、まだ早いのではないか」
「では一度すれ違わせて様子を見るか」
そんな会議がどこかで開かれているとしたら、ぜひ議事録を読ませてほしい。
では、この話は『四畳半神話大系』の創作なのか。それとも、本当にそういう信仰があるのだろうか。
調べてみると、これはかなり本当に近い話だった。
元ネタは「神在月」
日本では旧暦10月を「神無月」と呼ぶ。
一般的には、全国の神様が出雲に集まるため、各地から神様がいなくなる月だから「神無月」だと説明されることがある。
一方で、神様が集まる出雲では、旧暦10月を「神在月」と呼ぶ。
つまり、全国では神様がいない月。出雲では神様がいる月。
この時期、出雲では全国の八百万の神々が集まり、人の縁や人生に関わるさまざまなことを話し合うとされている。この話し合いは「神議り」と呼ばれる。
ここで重要なのは、「縁」といっても恋愛だけではないということだ。
人と人の出会い。結婚。仕事。人間関係。人生の巡り合わせ。自分では選んだつもりの出会いも、偶然だと思っていた再会も、もしかすると神様側ではすでに議題に上がっていたのかもしれない。
そう考えると、出雲で開かれているのは単なる恋愛相談ではない。
人間の人生全体をめぐる、神様たちの年次総会である。
神様たちは恋バナをしているのか
では、「神様が出雲で恋愛会議をしている」という理解は正しいのか。
半分正しい。
ただし、正確には恋愛だけを話しているわけではない。神様たちは、男女の縁を含む、あらゆる縁について話し合っているとされる。
とはいえ、人間にとって恋愛や結婚はかなり大きな縁である。
誰と出会うか。誰と結ばれるか。誰とすれ違うか。誰と出会ったのに何も起きないか。
こうしたことは、本人にとっては人生を左右する大事件である。現代の感覚だと「恋愛相談」と聞くと少し軽く聞こえるが、昔の共同体において結婚は、家と家、村と村、生活、子孫にも関わる重大な出来事だった。
だから神様がそれを話し合うという発想は、意外と自然でもある。
人間にとって大切なものほど、人間だけでは決めきれない。そこに神様の領域がある。
恋愛はしょうもないようで、しょうもなくない。むしろ人間が一番まともに判断できなくなる分野かもしれない。
だからこそ神様たちが出てくる。
なぜ出雲なのか
出雲と縁結びが深く結びついている理由のひとつが、出雲大社にまつられている大国主大神である。
大国主大神は、縁結びの神として広く知られている。
ここでいう縁結びも、単に恋愛成就だけではない。人と人、人と仕事、人と場所、人と出来事。あらゆるつながりを結ぶものとして考えられている。
そのため、出雲に神々が集まり、縁について話し合うという信仰は、出雲大社の縁結び信仰と強く結びついている。
現代風に言えば、出雲は神様たちの巨大なマッチングセンターである。
しかも恋愛アプリのようにプロフィールだけで判断するのではない。本人の性格、タイミング、家族関係、人生の流れ、過去の行い、未来の可能性まで含めて判断しているのだとしたら、相当に高度な審議である。
神様の会議室には、きっと人間の想像を超える資料が積まれている。
『四畳半神話大系』が面白い理由
ここで『四畳半神話大系』に戻る。
この作品が面白いのは、神話や伝承のような大きな話を、大学生の非常に個人的で小さな悩みに接続してしまうところだと思う。
出雲に神々が集まり、人間の縁を決めている。
普通に考えれば、これは神聖な話である。
しかし『四畳半神話大系』の世界では、その神聖な話が、主人公の冴えない学生生活や恋愛のこじれに妙な形で重なってくる。
自分の恋がうまくいかないのは、出雲の神様たちの会議が悪かったのではないか。
そんなふうに考えると、神話の荘厳さが一気に四畳半の床まで落ちてくる。
この落差がたまらない。
神々の会議という巨大なスケールと、大学生の恋愛の失敗という小さな怨念。その二つが同じ線の上に並んでしまう。そこに森見登美彦作品らしいおかしみがある。
しょうもないけど、しょうもなくない
考えてみると、人間の人生は「縁」でかなり決まっている。
どの学校に行くか。誰と友達になるか。どの会社に入るか。誰と出会うか。誰と別れるか。
そのときは偶然に見えても、あとから振り返ると「あの出会いがなければ今の自分はない」と思うことがある。
そういう意味では、出雲で神様が縁を話し合っているという信仰は、単なる昔話ではない。
人間には、自分の人生をすべてコントロールしているようで、実はどうにもならない出会いや巡り合わせがある。その不思議さを、神様の会議という形で表現しているのかもしれない。
恋愛会議と聞くと笑ってしまう。
でも、自分の人生を変えた出会いを思い返すと、笑いきれないところもある。
もしかすると、あのときの出会いも、どこかの神様が出雲の会議でうっかり承認した案件だったのかもしれない。
まとめ
『四畳半神話大系』に出てくる、出雲で神様が男女の縁を決めているという話は、完全な創作というわけではない。
元になっているのは、旧暦10月に全国の神々が出雲へ集まるという「神在月」の信仰である。出雲では、神々が人間の縁について話し合う「神議り」が行われるとされている。
ただし、そこで決められるのは恋愛だけではない。
人と人の出会い、結婚、仕事、人間関係、人生の巡り合わせ。そうした広い意味での「縁」が話し合われる。
だから、「出雲で神様が恋愛会議をしている」という理解は、少し雑だけれど、かなり面白くて、かなり本質にも近い。
神様たちがわざわざ集まって、人間の縁を話し合う。
それを考えると、自分の人生で起きた不思議な出会いも、ただの偶然ではなかったような気がしてくる。
そして『四畳半神話大系』は、その神聖な信仰を、冴えない大学生の恋愛や人生の迷走に引き寄せてしまう。
神話と四畳半。
出雲とキャンパスライフ。
八百万の神々と、うまくいかない恋。
その距離の近さが、なんともおかしい。
もしかすると私たちの人生も、出雲のどこかで開かれている神様会議の議題に、こっそり上がっているのかもしれない。



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